足跡

@vbear00のメモ

フィンケルシュタイン(1996=2007)『ファッションの文化社会学』

ヴェブレン理論は、ファッションの経済現象としての側面を強調し、富を誇示するためのシステムとして定義する。そしてまた同時に、富と成功を見せびらかしたいという願望は、ひとおり優れていることを示したいという潜在的な欲望に もとづいているとされる。ヴェブレンによれば、流行とは上流階級の人々は自分たちを下層階級と区別するためにつくったトリックなのだ。上流階級の外見や行動が模倣されるとき、つまり流行が下層階級へと「滴り落ちていく」とき、上流階級はまた新しい美学をつくらねばならない。22

19世紀後半の有閑階級を対象にしたヴェブレンの「滴り理論」はしかし、20世紀のファッションを論ずるには不適当となった。工業化からさらに進展した大量消費社会の到来は、消費者たちのある程度の平等と、メディアによる素早い情報拡散を引き連れて、ファッションをより多様に、より複雑なものとした。ファッションは経済格差から説明されつくされることはなく、個人あるいは集団=サブカルチャーの自己表現とも結び付けられるのである。それゆえ、ジンメルの理解が有効性をもつ。

ファッションとは階級格差を維持しようとする旧来の規制が無効化した都市環境において、自分を他人から差別化させるための技術だという説である。147

ただし、流行という現象は、差異化と同時に同一化をはらんでいることに注意されたい。差異化をしたところで人に理解されなければしょうがないのだし、あるいはファッション産業、小売業、広告業という文化媒介者たちは、

なにが「本当の」おしゃれなのか、スタイルにはどんな順序や秩序があるのか、なにがふさわしいのかなどの関連知識 138

を広めていくのである。他者との差異をもとめつつ、モードへの同一化をめざす、矛盾をはらんだ実践がファッションなのだ。

矛盾を抱えたファッション=流行という実践を駆動させているのは、つねに変化への欲求が喚起され、美意識の更新が要求されているという、現代都市における自己監視の規範だという。それはバービー人形の広告戦略に見ることができるだろう。

バービー人形のが象徴する領域は、ファッションは女性にとって自明だという権力によって支配されている。バービーは、洋服を変えることで人格を変え、唇、髪、腕、足。爪などを強調することで各部分に分割される。バービーの成功によって、30センチのモデルが永遠の青春を謳歌する現実の有名人であるかのような幻想がかきたてられる。188

もしも、私たちがファッションを「読み解こう」とするのならば、一方では文化産業(あるいはゲートキーパー)がどのような知識を生産しているのか、そこでどのような権力関係が発生しているのかに、他方では、メディアに表象された知識=イメージを個人、あるいは集団がどのように利用しながら「服を着る」という行為に結実させているのかに、着目する必要があるだろう。

 

ファッションの文化社会学

ファッションの文化社会学