足跡

@vbear00のメモ

なぜ芸術家のキャリアを問題にするのか

日本社会において芸術家であることは可能か。この問いに対して、わたしたちはそれがとても難しいことを示す多くのエビデンスをもっている。しかし、それと同時に、近代日本の歴史上、多くの芸術家(そこには"名もなき"、"隠れた"芸術家が多く含まれる)が存在し、芸術生産を担っていたことも事実である。現在であろうと、過去であろうと、彼らの実践が十分に省みられているとは言い難い。しかし、それはどういう点で十分ではないのだろうか?わたしたちは、そもそも芸術について語る必要はあるのだろうか?

現代演劇のフィールドワーク―芸術生産の文化社会学

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隠れた音楽家たち: イングランドの町の音楽作り

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 芸術家としてキャリアを築いていくことは、その芸術活動を行うための優れた技能を獲得していくこととは、必ずしも同じではない。芸術家としてキャリアを築くことのできた人は、結果として優れた技能をもっている。しかし、それは優れた技能をもっていたからキャリアを築けたとは、単純に言えない事情をはらんでいる。アートマネジメントや文化経済学、文化政策といった領域が教えるのは、芸術家を職業として遂行していくことの困難さである。芸術は金にならない。というよりは、文化産業においては、明らかに供給が需要を大幅に上回っている。毎年、美大芸大から卒業生が排出されるし、専門学校や実演団体で活動してる者も多いことを考えると、芸術家の卵は無数にいることになる。しかし、いまの日本では、彼らの生活を賄っていけるほど、芸術鑑賞にお金は使われない。だから、芸団協の実演家を対象にした調査でも、教授活動から主な収入を得たり、芸術とは関係のない仕事から収入を得ている実務家の存在が浮かび上がってくる。芸団協に加入している芸術家でそれなのだから、実態はもっと厳しいだろう。

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

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演劇は仕事になるのか?: 演劇の経済的側面とその未来

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こうした事情を知った以上、わたしたちは芸術を、能力や才能からは語り切れないことを痛感する。アートワールドにおける芸術生産という実践は、多分に社会に埋め込まれた活動である。芸術教育や芸術心理学は、芸術活動を成り立たせる能力や、認知的な技能を明らかにし、さらにそれを育てるための教育方法や学習方法を提示することだろう。しかし、それは、芸術活動を行うことのできる環境や状況に、その人が身を置くことができて初めて意味をもつ。個々人が、社会生活においていかにして芸術と関係をもち、アートワールドに参入していくのか。なぜ芸術活動が成り立つのかを考えるならば、こうした芸術家とアートワールドの関係の仕方を理解する必要がある。芸術家のキャリアとは、そうした関係の仕方が、時間的に積み重なったものに他ならない。

芸術家のキャリアを考えるうえで興味深いのは、なぜ芸術を仕事にする必要があるのか、という点である。ここでは、プロフェッショナル/アマチュアという区別を導入することができる。世の中には、芸術で収入を得ることを目標とせずに、芸術活動を続ける人々が存在する。そうしたアマチュアの人々と、プロフェッショナル(を目指す)人々を対比させてみたとき、芸術家としてのキャリアには多様なコースが存在しうることが分かる。その中で、なぜあえて芸術を仕事にしようとするのか。あるいは、なぜアマチュアのとして活動しようとするのか。さらに言えば、そうした選択は、どのような社会環境のもとで可能になるのか。これらの問いに答えていくことで、わたしたちは、一方で、この社会において芸術を行うことがいかにして可能なのかを知り、他方で、芸術がその人の人生においていかなる意味をもつのかを知る。

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