足跡

@vbear00のメモ

武知優子・森永康子 (2010) 職業的音楽家に向けての課題―音楽家を目指してきた若者の語りから―.

武知優子・森永康子 (2010) 職業的音楽家に向けての課題―音楽家を目指してきた若者の語りから―. 音楽教育学, 40(2): 13-24.

■ 背景

日本において音楽家を職業とするのは難しい。それは収入を得ることの難しさと、音楽大学ではスキルの教育はあってもキャリア教育があまり行われないこと、に起因する。

■ RQ

実際にどのような課題や困難を経て職業的音楽家(収入の全部または大部分を音楽による活動から得て、生計を立てている人)になっていくのか

華麗な経歴などを持たない音楽専攻卒業生が、音楽を活かし職業としていくにはどのような紆余曲折があるのか

■ 方法

半構造化インタビュー

幼少期からクラシックピアノを学び、大学受験時にクラシックピアノにより実技試験を受け、調査時点で音楽を職業としている、または職業とすることを志している8名

協力者ごとに職業的音楽家を目指すにあたり影響が大きかった出来事やきっかけを記入

語りに共通する点を抽出し概念化

 

■ 結果

学校卒業~社会へ

職業としての音楽に関する情報の欠如:人間関係の重要性気付く

音楽でやっていく決心の甘さ:プロアマの境界は明確にあるわけでなく本人の考えや決意によるところも多い

否定的評価

音楽の収入、ある程度の増加

音楽家への決心固く

アイデンティティの葛藤:主な収入源が違うことへの葛藤、教授の仕事を得ることはアイデンティティの葛藤を緩和する

否定的評価:否定的な評価を、どう受け止め、活かしていくかが、あきらめずに目指していく鍵

音楽的充実か収入か:音楽的な満足度は低くとも、確実な収入源となる仕事を確保しておかなければならないという認識

職業的音楽家へ

将来展望の難しさ:短期的な見通ししか立てられないが、音楽の世界は不確実なので適切な戦略か

■ 結論

以上6つの課題を、だれがいつどのように経験したり、しなかったりするかは、人によって異なる

■ 議論

各課題について

・音楽を職業にしていくうえでの人間関係の重要性は確かにそうだろう。アートワールドの住人になるために不可欠であるし、ピアノ演奏家のように組織に所属するのではなくフリーで活動するならばなおさらである。グラノヴェッター的な世界観。クロスリーも読んだらそういうことになるだろうか。イギリスのconcervatoireは、プロの音楽家との接点をつくってくれる点で学生の満足度も高いと、Papageorgi et al. (2010) にあった。

・プロアマの決心は興味深い点。仕事にしよう/しないでおこう、という判断はいつどのようになさるのかというのは、あまり議論されていない印象。基本的に音大生はプロを目指すものなのか?あるいは実演家のうち仕事にしようと思うようになる人はだれ?実演活動を始めるきっかけ(家庭環境やライフイベント)や、仕事にしようとするうえでの苦労(本稿や佐藤(1999))については語られているが、仕事にしようとするきっかけはどこにあるのだろう。Taylor and Hallam (2011) に、それに関して議論があるようだ。佐藤(2001)にもあるかもしれんが、音大に入る時点ですでに職業にする説教的意思がある人もいればそうでない人もいるみたい。

アイデンティティの葛藤と収入の問題は、芸術活動全般にまとわりつく問題。古くはBecker(1963)にある、ジャズミュージシャンとスクエアの関係に見られる。芸術か金か。しかし、Becker(1963)のミュージシャンのように、金を稼ぐためであっても音楽ができているならば、まだ幸せな方だろう。多くの場合、金を稼ぐ手段は、芸術とは関係ない領域の仕事である。現代演劇ならば、佐藤(1999)に議論があるし、日本芸能実演家団体協議会(2015)にも、そのような実態が描かれる。マンガ『ブルージャイアント』だってそうだよね。しかし、小島(2014)のように金をかせぐ仕事と、情熱をささげる先の芸術活動を分けている人は=アマチュアでいいとしている人、アイデンティティの葛藤は覚えないかもしれない。仕事にしたい、という思いがあるからこそ葛藤も起きる。

・将来展望の難しさについて、本稿ではどうしてもその場しのぎが音楽家のキャリアで中心になってしまうと述べているし、それはそれで適切じゃないかと述べている。横地・岡田(2007)では、現代アートの作家が、経験年数20年ほどを経て自己の創作ビジョンを確立させていく様子が描かれていたが、彼も将来展望があったようには見えない。むしろ、キャリアの初期~中期段階では、オリジナルな表現を模索しつつも、他者の模倣になったり、奇抜になりすぎたりするような、試行錯誤を経て、そのうち自己の内的基準をつくりあげていた。そう考えると、将来展望が描けることは食っていくことに関しては重要であるが、芸術表現については、むしろ展望は描けなくても試行錯誤できる環境が重要ということになろう。展示・発表の機会が重要だということは、横地・岡田(2012)(『実践知』所収のもの)にも書いてあるし、大浦(2000)も述べている。もっとも試行錯誤を生むのは、やはりそういう機会が与えられたり、そこで観客からフィードバックを得たりすることだろう。仲間同士のフィードバックや批評によって創造性が高まることも、八木(2007)やHeath(1991)が報告する通りである。芸団協(2015)では、実演家たちが発表の場を欲しているとあり、なかなか成長の機会が得られていないのではないかという予想もつく。あるいは宮入ほか(2015)のいう発表会は、どれだけ試行錯誤を生んでいるのかも気になるところである。