足跡

@vbear00のメモ

本田由紀(2009)『教育の職業的意義』

著者の主張は何?

日本の公教育(特に、高校)がもつ職業的意義を高めること。教育の職業的意義とは、若者が仕事に対して〈適応〉と〈抵抗〉の両方をバランスよくこなす能力を、教育が提供できることを意味する。著者は教育社会学者であり、教育プログラムの設計の専門家ではないと断りつつ、教育の職業的意義を高めるための方法を2つ挙げている。まず、〈適応〉の側面に対しては、若者に、職種別の専門的技能を与えること。この点について著者は高等専門学校を評価している。一方、〈抵抗〉の側面については、労働者の権利について法的な知識を与えることや、労働者どうしで連帯する方法を伝えることを挙げている。

なぜ教育の職業的意義が必要なの?

バブル崩壊以降顕著になるように、日本的雇用の限界が露呈し、若者の労働環境が厳しいものとなっているから。これは、正規雇用であっても非正規雇用であっても当てはまる。正規雇用の場合、これまで労働者は、職務ではなく組織への帰属を根拠に評価されてきた(ジョブなきメンバーシップ)。これは年功序列の賃金システムを可能にする一方で、どれだけの仕事に対して賃金が払わられるのかということを曖昧にしてしまう。その結果として、社畜のような過労者が登場する。一方、非正規雇用の場合、正規雇用の労働者とあまり変わらない職務を全うしているにも関わらず、簡単に解雇されてしまうなどのハンデを負っている(メンバーシップなきジョブ)。また、いずれの場合でも企業が人材育成にかけられるリソースは減少している。このような現代の若者が置かれた状況を変えていくには、労働市場を含めた社会のさまざまな仕組みを変えていく必要がある。教育はその中の一つとして、正規雇用の問題を解決するための職務の明確化と、非正規雇用の問題を解決するための労働者の権利の保障を提供することができる。

日本の教育は職業的意義を欠いているの?

戦後、高度経済成長期を経て、職業的意義を欠いた教育が定着するようになった。その原因として、著者は若年層の高卒進学率の急増と、労働力需要の高止まりを挙げている。より多くの若者が高卒・大卒になるにつれて、従来は中卒がつくはずであったブルーカラーの職業にも彼らがつかざるを得なくなった。そうしたとき、「教育内容と職務は別物」と考えたほうが、誰がどの職業になっても不満は少なくなる。若者を雇用する企業の方は、経済成長の波にのってたくさんの労働力を必要としていたから、「まず若者をつかまえておいて、それから企業のなかで教育する」という戦略をとったほうが都合が良かった。その結果として、日本の教育の画一的平等化が進んだ。「普通科」が圧倒的になり、専門科の存在感は小さくなったのである。国際的にデータを比較しても、日本の学生は自らが受けた教育が仕事につながるとは考えていない。そもそも、何のために教育を受けているのか、意義を見出せていない。

なにか取り組みはされていないの?

キャリア教育があるけれども、それに対して著者は批判な立場をとっている。現在日本で推進されているキャリア教育は、勤労観・職業観の形成を目的にすえつつ、人間関係形成能力から情報活用能力まで、望ましい能力なら何でもありという様相を呈している。焦点のぼやけたキャリア教育は、生徒に具体的な方法を教えるというよりも、「仕事や将来について考えなくてはならない」という強迫観念だけをもたらす。その結果、自分の興味に従って将来を考えた生徒たちは、俳優やダンサー、ミュージシャンといった進路を設定するが、こうした職業につくのは実際は難しくリスクが大きい進路をとっていることを自覚しにくい。一方、自分の進路を考えることを難しく思う生徒に対しては、キャリア教育は建設的な提案を与えられず、ただの圧力になってしまう。自分らしく生きることが要請されるだけで、そのための手段がないのである。だからこそ著者は、まずは特定の専門領域に関する知識と技能を提供すること、それと同時に、労働の実態や制度について豊富な事実を教えることが、必要だと考える。

教育の職業的意義を高めるうえでのキモは?

若者が柔軟な専門性を身につけられるよう配慮すること。コミュニケーション能力のような近年称揚される抽象的で一般的な能力は、どのように教えるべきなのか全く知見がない。それよりもむしろ、まずは特定の分野で専門的な能力を身につけ、それをもとに隣接する分野やより広い分野に柔軟に転移・応用できるようにする方針のほうが現実的だ。介護で身につけた専門性を、懐石料理店で発揮した人の事例が紹介されている。ここでいうところの専門性を、リチャード・セネットやジグムント・バウマンにならって著者は「職人技」と呼んでいる。それは伝統的な意味の「職人」ではない。セネットは次のように定義する。「職人技の包括定義は次のようなものとしてはどうだろうか。それ自体をうまくおこなうことを目的として何ごとかをおこなうこと。あらゆる分野の職人技には自己鍛錬と自己評価が欠かせない。規範が重要であり、質の追求が目的となっていることが重要である」。職人技とは、生活と尊厳の基盤となるような仕事の内容そのものへのコミットメントであり、自分が何をなしうる存在なのか、暫定的な輪郭を与える。

 

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)