足跡

@vbear00のメモ

高橋雄一郎, 鈴木健 (2011) 『パフォーマンス研究のキーワード』

  パフォーマンスによる自己の省察と、日常から区別されたフレーム。ある種の独特なフレームが要求される状況の存在(それが「非日常」とカテゴリー化されているかはともかく)が、逆に日常や自己の存在を逆照射する。

ターナーはさらに、「ヒトにとってパフォーマンスは自己省察的であり、パフォーマンスをおこなうことでヒトは自らに対し、自己を明示する」(Turner 1987: 81)と続ける。この発言は、個人のレヴェルだけでなく、共同体のレヴェルでも理解されるべきであり、どのようなパフォーマンスをおこなうかが、自分自身、また自らが構成員である共同体にとって、アイデンティティの拠り所、存在の照明となる点を示している。p.90

・しかし、現代の状況は若干異なる。脱産業化された社会では、仕事の時間/空間とは明確に区別された、余暇の時間/空間が存在する。決められた祝祭日にしか巡ってこなかった儀礼の時間/空間とは異なり、リミナルな、価値の宙吊りになった状態は、余暇として取り分けられた時間/空間に個人が自由に作り出せるようになった。旅行に出かけるこそがそうだし、遊園地や歓楽街、映画鑑賞や観劇に行くこともそうだ。ターナーは、このような状態を、「リミナルに類似した」という意味で「リミノイド」と命名している。p.102

 リミノイドとしての舞台の意味、しかも鑑賞ではなく出演の対象としての舞台、そういうものを扱おうとする。

 

The Anthropology of Performance

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