足跡

@vbear00のメモ

上田信行・中原淳(2013)『プレイフル・ラーニング』

「舞台」の経験が、人にいかなる変化をもたらすのか、という点に関心がある。

アマチュア舞台芸術団体は、個々の力は非力な一市民たちのコラボレーションを可能にすることで、それぞれが本番の舞台に立つという経験を提供する。その時、彼/彼女らは舞台を通して、何を得ていくのか。そして、その舞台を可能にするための練習が、どれだけの重要性をもっているのか。そういう点を探求したい。卒論を予備調査と位置づけるなら、ぼくが現段階で「掘ったら面白い」と感じる鉱脈はそこだ。

また、「舞台」というのは、メタファーとしても用いられることの多い言葉である。「ここ一番の大舞台」を経験することで、人は成長していく。そうした舞台は、活動のモチベーションとなる一方で、遂行するためのプレッシャーを与えるものでもある。

学びの場としての舞台というアイデアは、上田信行先生がLMT(Laboratory for Making Music)の実践を通して、すでに提唱されている。LMTは、楽器を練習することよりも、演奏やレコーディングといったプロジェクトの遂行に重きを置いた「教えないピアノ教室」で、毎週、公演を行っていたという。劇団四季が毎週スタジオでミニ公演をやっていることにアイデアを得たとか。

LMTが提供した舞台がもつ意味を、中原先生は次のようにまとめている。

「舞台(ステージ)」は先生が学習を語る時によく出てくる単語ですね。日常とは隔絶された緊張感のある場で、他者のまなざしを受けながら精一杯背伸びをする。そして、その背伸びの先には明日の能力の伸びがある。「学習環境としてのステージ」には、そんな可能性があるのかもしれません。結果、人は演じた先にあるものにしかなることはできないのです。 (p.87)

 さらには、

この考え方、こうした「舞台」の重要性は2000年代後半から2010年代前半にかけて学習研究においても主張されるようになってきました。人が「今の自分よりも少し背伸びした自分」をパフォーム(perform)しつつ 、「将来の自分」をもつくりあげるプロセスに注目が集まっており、「学習環境としての舞台の可能性」が模索され始めています。(p.100)

 この「なりたい自分を演じる」というのは、ワークショップ実践で聞いたことがあるけど、どれの話だったか…。そういう潮流があるなら、押さえない手はない。インプロとかも、そういう話でつながってくるのでしょうかね。

(追記:2015.3.30)

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 跳躍のための「舞台」をつくる!? : 身体、学習、パフォーマンス

非日常でタフな経験をする場としての舞台という基本認識と、模倣・演じることをポイントとした演劇的な認識がある。 発達段階=ステージ=舞台というアナロジーがもつ意味とは。

 

プレイフル・ラーニング

プレイフル・ラーニング

 

 

 

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