足跡

@vbear00のメモ

Becker(1982)Art Worlds

文化社会学読書会むけ。成城大学『コミュニケーション紀要』に掲載された邦訳を手始めに。ベッカーは芸術家と支援人員の区別を導入しているが、クリストファー・スモールに言わせれば、そういう序列のつけ方は気に食わないとなるところだろう。ベッカーは、「特別の才能や感受性を必要とする」作品制作の中核行為をなすのが芸術家で、一方で、「作品の成功にとって必須ではなく、より尊敬に値しない」行為に従事するのが支援人員である(その1 p.41)。支援人員は、芸術作品の制作にかかせない一方で、「ユニークな存在ではない。彼らは互換可能である。」と呼ばれる。確かに、作曲家や劇作家とと、それを演奏する人、演じる人が(アマチュアであるならなおさら)、そういう区別をされるのは理解できる。しかし、支援人員たちにも、彼らにとっての芸術があり(その3 p.29)、Musicking がある。それは原理的に「劣ったものである」という区別なのか、それとも、批評の作用の結果として優劣がつけられているのか、注意しよう。ただし、ベッカーも、芸術家と支援人員の区別はときに困難(デュシャンを想起すれば特に)であると言っている(その3 p.29)。であるならば、この区別をすることによって得られるメリットはなんなのだろうか。「作品」について論じたいならば、必要かもしれないが。

 

第3章「資源を動員する」なんて、語彙が社会運動論に通じていて、やはりあの辺を抑えたいという気が強まる。

 

Art Worlds

Art Worlds

 
  • 第1章 アート・ワールドと集合的行為
  • 第2章 規則
  • 第3章 資源を動員する
  • 第4章 芸術作品を分配する
  • 第5章 美学、美学者、および批評家