佐藤俊樹(2006)「近代における組織と公共性」
近代の概念と公共性
(追記:2014.12.6)創発効果への関与可能性と、そのためのリソースの不平等という問題設定できる
公共性/共同体を原理的な矛盾でなく、個々の事例おける選択のためのリソース分布の問題として見て良いような感じを得られた
— じゃ (@vbear00) December 2, 2014
あとは問題意識を共有できるかにすべてかかってる
— じゃ (@vbear00) December 2, 2014
佐藤俊樹(2006)「近代における組織と公共性」『組織・経営から考える公共性』
三上剛史(1998)「新たな公共空間:公共性概念とモダニティ」『社会学評論』48: 453-473
(追記:2015.9.8)
久々に読み返してみると当時自分が何を問題にしていたのか全然わからなくなってて面白い。ちゃんと書いておかないと忘れる。たしかこれは、「芸術団体の公共性」を論じることは可能か、という問題だった。団体=共同体とは、そもそもが他の集団からの区別と閉鎖性をもとにして成り立っているのだから、それの公共性を問うこと自体が矛盾ではないのか、ということだ。それに対して、団体=組織というのは、個々人ではできない活動を行うための結束であり、そうした活動に参加できるかどうか、集団活動のリソースにアクセスできるかどうかという問いを立てるならば、公共性を論じることも可能だという見通しを得たのだった。もちろんそれは、あるひとつの団体の公共性を問うというよりも、ある個人が集団活動に関わられるかどうか=アクセスできる団体があるかどうか、という意味で論じるられることになるのだが。