足跡

@vbear00のメモ

渡邉文枝・冨永敦子・向後千春(2014)「生活におけるゆとりが楽器を学ぶ意欲に及ぼす影響」

https://kogolab.wordpress.com/2014/05/18/jsetken-nagaoka/

・渡邉文枝・冨永敦子・向後千春(2014)「生活におけるゆとりが楽器を学ぶ意欲に及ぼす影響」『日本教育工学会研究報告集』14(2): 91-98.

何が分かったのか?

2点。

・「生活的余裕がない」(今の生活に満足したり、充実していると感じていたりしていない)人ほど、楽器演奏への意欲が高い

・「挑戦できる余裕がある」(向上しようと心がけていたり、目標があったり、遊びや交流を行っている)人ほど、楽器演奏への意欲が高い

なぜそれが分かる必要があったのか?

生涯学習として音楽やスポーツへの関心が高まっている。これらの分野は、学習者に「明示的な利益を生みにくい」ために、学習の動機づけが弱くなりがちという特徴がある。先行研究では、コンテストの出場や仲間からのフィードバックといった、活動の中から得られる動機づけが検討されている(#だいぶ好意的に書き改めてる)。その一方で、学習者の生活状況が動機づけに与える影響は(日常的に考えてありえそうなことであるのに)、検討されていない。なので、研究する必要がある。

どのようにしてそれは分かったか?

「楽器事業を主とする企業が提供している楽器関連オンラインメンバーへの登録者」(#この人たちは日常的に楽器を演奏する人たちなのだろうか。演奏する人もしない人も混ざってる?)に、ネットを使った質問紙調査(サンプルサイズは2497)。楽器を学ぶ意欲尺度(オリジナル)と、ゆとり感尺度(古川ほか 1993)から因子を作成し、前者を従属変数、後者を独立変数として重回帰分析を行った。生活的余裕のなさが楽器演奏意欲へ与える影響力は、ストレス発散のためと説明される。挑戦できる余裕があることが楽器演奏意欲へ与える影響力は、まあそういうことだろう。

 

心理学における尺度作成について、知りたい。個々の調査のために調査者が尺度をつくることに、どれくらいの意義と信頼性があるのか、あるように工夫されているのか。研究者のもつ(自生社会学的な意味を含んだ)「理論」を言語化する際に、問題がないのか、どんな問題がありうるか。

意識でもって意識を説明することを社会学の人たちは嫌っていた(#その言説の元ネタも気になる)が、心理学的にはどうか。